(1875年3月20日 - 1970年6月13日)
父は初代の弟。もとは小菊丸、初代広沢虎造。2代目と同門であり、2代目が寄席経営に成功し隠居する際に譲られた。浪曲界の生き字引きと云われた存在だが、しかし2代目と比べると地味であり、あまり名を馳せることは出来なかったが、長命を授かり95で死ぬまで昔のことをしゃべっていた。そのしゃべりは小沢昭一の『CD/レコード日本の放浪芸 小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸』に入っており偲ぶことができる。晩年は目が不自由になった。CDの中では1877年12月の生まれになっている。その談話テープ吹き込み1ヶ月後に死去。95歳没。