大分市の祭りには目玉になるような大きなイベントがなかったことから、新しい祭りを起こそうと考えた大分商工会議所青年部が、1985年(昭和60年)に、電飾を施した山車を作って大分七夕まつりの市民みこしに参加したのがきっかけである。
当時の大分市長の佐藤益美が、ぱっちん(めんこの大分方言)の絵柄に似ていると評したことから、大分市中心部の江戸時代までの呼び名である「府内」を冠して「府内ぱっちん」と名付けられ、「府内戦紙」の字が当てられるようになった。
1988年(昭和63年)には、初めて大分商工会議所青年部以外が加わって参加団体が3団体となり、翌1989年(平成元年)には、参加が12基に急増して市民みこしから独立し、今日の府内戦紙の原型ができあがった。
近年では観客が25万人に達し、20団体以上が参加する大分市を代表する祭りに成長している。