弓削広方 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 正五位下・右兵衛佐 凡例弓削 広方時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 正五位下・右兵衛佐主君 称徳天皇氏族 弓削氏父母 父:弓削浄人兄弟 広方、広田、広津テンプレートを表示 弓削 広方(ゆげ の ひろかた)は、奈良時代の貴族。氏姓は弓削連のち弓削宿禰、弓削御浄朝臣。大納言・弓削浄人の子。官位は正五位下・右兵衛佐。 父の弓削浄人が天平宝字8年(764年)7月に弓削連姓から弓削宿禰姓に、さらに9月に弓削御浄朝臣に改めており、広方も同時に改姓したと想定される。 天平神護3年(767年)従五位下・武蔵員外介に叙任される。のち、近衛将監・右兵衛佐といった武官を務め、神護景雲3年(769年)10月の称徳天皇の由義宮行幸に従い、正五位下に叙せられるなど、叔父・道鏡の権勢下において順調に昇進を果たす。 しかし、神護景雲4年(770年)8月に称徳天皇が崩御すると、道鏡と浄人の兄弟は失脚。浄人と弟の広田・広津と共に弓削姓(無姓)に戻された上、土佐国への流罪となった。天応元年(781年)桓武天皇の即位後に赦免され、本国である河内国若江郡に戻されたが、再び平城京に入京することは許されなかった。 官歴 『続日本紀』による。 天平宝字8年(764年) 7月6日:連姓から宿禰姓に改姓。9月11日:弓削宿禰姓から弓削御浄朝臣姓に改姓。 時期不詳:正六位上 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下。8月29日:武蔵員外介 時期不詳:近衛将監 神護景雲2年(768年) 4月12日:武蔵介 神護景雲3年(769年) 6月9日:右兵衛佐、武蔵介如故。日付不詳:従五位上。10月30日:正五位下 神護景雲4年(770年) 8月22日:流罪(土佐国) 天応元年(781年) 6月18日:本郷に放還 出典 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 Related Articles