弘仁 (画僧)
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略歴
明の諸生となって官位に就いたが、35歳のとき南京が陥落。唐王について福建に行き、清軍に抵抗したがあえなく亡命政権が壊滅。武夷山に入り、古航禅師道舟の元で出家した。武夷山には数年滞在し禅の修行の傍ら画の修練と詩作を行っている。その後故郷の太平興国寺、次いで五明寺に住している。南京や廬山、杭州に遊歴し、髠残、石濤、梅清らと交友が知られる。黄山にはしばしば登り画作に専念した。
元末の画家、黄公望や、とりわけ倪瓚に影響を受け、先輩の蕭雲従からも多くを学んでいる。筆墨は蒼勁にして簡潔で清新な風があった。山水図を多く画いたが梅花や双鉤の竹も画いている。また書は、楷書を顔真卿、行書を倪瓚に師法した。
新安で盛んとなっていた木版画は徽派版画と呼ばれその精細な技は当時から有名であったが、弘仁の細い筆線もこの版画に影響を受けていたとされる。
享年54。五明寺に墓がある。 弘仁の生涯は同郷の殷曙の『漸江師伝』あるいは王泰徴『漸江和尚伝』に詳しい。
代表作
出典
- 大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社、2001年、ISBN 4831508985
- 王伯敏 『中国絵画史事典』遠藤光一訳、雄山閣出版、1996年、ISBN 9784639013853。
- 新藤武弘『山水画とは何か 中国の自然と芸術』、福武書店、1989年
