天正13年(1585年)、張元至の次男として生まれる。父は明からの帰化人ながら毛利輝元の出頭人(輝元出頭人)として、毛利家の中央行政を担った一人である。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにより毛利家は周防・長門2か国に減封となったが、翌慶長6年(1601年)8月27日に父・元至が毛利秀就の乳母との密通を理由として、周防国大島郡で切腹させられた(張元至密通事件)。しかし、元至と密通したとされる乳母はその事実を強く否定しており、元至死後の張家も輝元存命中に兄・元貞を当主として再興されていることから、この密通事件は事実でなく、元至を排除するための名目であったとされる。
寛永17年(1640年)8月13日に死去。享年56。