徳生忠常

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徳生 忠常(とくせい ただつね、1901年11月13日 - 1999年4月27日)は、日本実業家、九和町議会議員。

生誕 (1901-11-13) 1901年11月13日(124歳)
日本愛媛県九和村
死没 (1999-04-27) 1999年4月27日(97歳没)
日本東京都世田谷区
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
町議会議員
概要 とくせい ただつね 徳生 忠常, 生誕 ...
とくせい ただつね
徳生 忠常
生誕 (1901-11-13) 1901年11月13日(124歳)
日本愛媛県九和村
死没 (1999-04-27) 1999年4月27日(97歳没)
日本東京都世田谷区
国籍 日本の旗 日本
職業 実業家
町議会議員
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経歴

1901年(明治34年)に愛媛県の九和村(後の玉川町。現:今治市)にて生誕した[1]。父親には内緒で菊間町にある母親の実家から伊予教員養成所を受験、小学校の準教員(代用教員)となった。その後、正教員の資格をとるために松山師範学校に通ったが父親に知れ、志半ばで退学した[2]

1929年(昭和3年)に商売の誘いがあり上京し、月賦販売会社の丸共に入社[2]。わずか3年後の1931年(昭和6年)には大井町支店を譲り受け独立を果たした[2]1938年(昭和13年)9月には支那事変で応召され、南支方面に出征し、翌年1939年(昭和14年)11月に召集解除となった[1]

1945年(昭和20年)8月には九和村に帰郷[1]。九和村議会議員、民生委員の役職を引き受け、実家の農業も手伝っていたが、体力の限界や子供たちの教育を考え、再び1948年(昭和23年)7月に上京[2]

1950年(昭和25年)5月には佐藤治郎と共同して、月賦販売会社「株式会社丸興」(後のOMCカード[1]。現:SMBCファイナンスサービス)を設立、専務取締役に就任した。丸興は、創立当初は資本金100万円、従業員8名、店舗数1店舗、売り場面積24坪で発足したが、「丸井緑屋・丸興」と言われる3大月賦販売会社となり、1965年(昭和40年)には東京証券取引所1部に上場を果たした[3]

1967年(昭和42年)10月には丸興の専務取締役を辞任した[1]1979年には玉川町名誉町民第1号に選ばれた[4]

1999年4月27日に急性心不全の為、東京都世田谷区の病院で死去した(享年97歳)[5]。同年6月9日には故郷の玉川町で玉川町葬が行われた[6]

エピソード

ふるさと発展のために玉川町に多くの施設や資金を寄贈している。1986年完成の玉川近代美術館の建物・美術品をはじめ、町内の道路や公共施設建設資金などを寄付した[4]玉川総合公園建設にも資金援助を行い、町では公園内に徳生忠常の銅像を建てようとしたが本人より固辞され、「徳生ひろば」という名前のみ石に刻まれている[7]

栄典

  • 称号 - 玉川町名誉町民(1979年

関連項目

脚注

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