志津嶽堅太夫 From Wikipedia, the free encyclopedia 志津嶽 堅太夫(しづがたけ けんだゆう)は、江戸時代の大相撲の第62代大関。 安永9年(1780年)春場所(3月)、東大関として番付上「九州」頭書で大相撲入りしたが、取組には登場しなかった。次の同年冬場所(10月)は西前頭3枚目まで陥落し、番付上の頭書を「奥州」と変えて根津ヶ嶽堅太夫(ねづがたけ けんだゆう)と改名するもやはり全く取組に出場しないまま、たったの2場所で引退してしまった。 通算成績:0勝0敗16休 志津嶽 堅太夫 春場所 冬場所 1780年 東大関0–0–6 西前頭3枚目引退0–0–10 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) 出典 「相撲」編集部編 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。 関連項目 大相撲力士一覧 大関一覧 看板大関 外部リンク 相撲レファレンス 根津ヶ嶽 堅太夫 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。表示編集 Related Articles