恭恵王后
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生涯
世祖13年(1467年)1月12日、当時王子の身分で乽山君(チャルサングン)に封じられていた成宗と婚姻した。婚姻後は天安郡夫人と称された。この婚姻は、夫の祖父の世祖の意向によるものだと言われている。睿宗元年(1469年)に成宗が国王に即位すると、正室であった彼女は王妃に冊立された。成宗4年(1473年)に病気療養のため、実家の韓家に移り住む。成宗も一日置きに見舞いに訪れた。その後病状が回復し、王宮に戻るが、同年12月に再発してしまった。自身の病が治ることはないと悟った彼女は、自らの希望で昌徳宮求賢殿に移った。成宗は毎日見舞いに訪れ、貞熹王后・昭恵王后・安順王后も毎日見舞った。
成宗5年(1474年)、病のため死去。享年18歳。成宗との間に子供はいなかった。
人物
- 姑の昭恵王后は厳格な人物で、彼女に対しても厳しく接した。中国の賢母良妻に関する話である『烈女伝』を読むようにするなど儒教倫理により徹底的に教育した。
- 王妃となった以降も懐妊の兆しがなく、後宮を持つこととなった。そのことに対して、嫌な顔一つしなかった。また、後宮の側室達に服等を贈ったという。
- 求賢殿に移ってから両親が看病に訪れた。娘が心配であるあまり食事をとることができなくなってしまった。それに対して、食事を取るよう命じたという。なお、これは死の数日前のことであった。
家族関係
出典
- 『王妃たちの朝鮮王朝』尹貞蘭・著、金容権・訳 日本評論社 2010年