文室忍坂麻呂 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 従五位上・因幡守 凡例文室忍坂麻呂時代 奈良時代生誕 不明死没 不明官位 従五位上・因幡守主君 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇氏族 文室氏父母 父:文室浄三?または文室大市?テンプレートを表示 文室 忍坂麻呂(ふんや の おしさかまろ)は、奈良時代の貴族。大納言・文室浄三または大納言・文室大市の子か。官位は従五位上・因幡守。 天平神護3年(767年)従五位下に叙爵し、右大舎人頭に任ぜられる。 光仁朝では、伊予守・中務少輔・上野守を歴任し、天応元年(781年)の光仁上皇の崩御に当たっては、作路司を務めた。 桓武朝に入ると、天応2年(782年)左京亮、延暦2年(783年)造東大寺次官、延暦3年(784年)造長岡宮使、延暦4年(785年)木工頭と造営関係の京官を歴任。またこの間の延暦3年(784年)には長岡宮造営の功労により従五位上に昇叙されている。延暦5年(786年)因幡守に任ぜられ、再度地方官に転じた。 官歴 『続日本紀』による。 時期不詳:正六位上 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下。3月20日:右大舎人頭 宝亀2年(771年) 7月23日:伊予守 宝亀8年(777年) 正月25日:中務少輔 宝亀10年(779年) 11月28日:上野守 天応元年(781年) 12月23日:作路司(光仁上皇崩御) 天応2年(782年) 8月25日:左京亮 延暦2年(783年) 3月12日:造東大寺次官 延暦3年(784年) 6月10日:造長岡宮使。12月2日:従五位上 延暦4年(785年) 正月15日:木工頭 延暦5年(786年) 正月24日:因幡守 延暦8年(789年) 12月29日:山作司(高野新笠崩御) 参考文献 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年 Related Articles