文弥人形が成立したのは、明治時代のはじめであった。盲人の座語りとして語られていた文弥節を佐和田町沢根の伊藤常盤一(いとう ときわいち)が語り、小木町の人形遣いの大崎屋松之助が腰幕の内側に組み立て式の枠を組み、四枚の襖を立て二重舞台に改良した。
また、人形の着物も下から手を入れるのではなく、背を裂いて手を入れる遣い方になり、さらに頭が意図によって前後左右に動くように工夫された結果、佐渡の人形芝居は一新した。
現在、佐渡の人形芝居といえば文弥人形であり、島内に十座ほどあって、佐渡人形芝居保存会を結成している。