日野家秀
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官歴
注記のないものは『弁官補任』による。
- 時期不詳:正五位下
- 応永26年(1419年) 3月10日:権右少弁。3月15日:右少弁
- 応永27年(1420年) 閏正月10日:左少弁。閏正月13日:右中弁
- 応永28年(1421年) 12月21日:左中弁
- 応永29年(1422年) 10月28日:蔵人頭。12月18日:正四位下
- 応永30年(1423年) 日付不詳:正四位上
- 応永32年(1425年) 正月30日:右大弁。6月7日:参議兼左大弁。日付不詳:兼紀伊権守
- 応永33年(1426年) 3月29日:兼讃岐権守
- 正長元年(1428年) 4月:服解(父)。日付不詳:従三位。11月3日:権中納言
- 永享2年(1430年) 4月:院執権[1]。7月16日:検非違使別当兼左衛門督[1]
- 永享3年(1431年) 日付不詳:秀光から家秀に改名[1]。7月12日:止別当、督如元[1]
- 永享4年(1432年) 6月1日:権大納言(任所労危急俄宣下)、薨去[1]