月亭春松
From Wikipedia, the free encyclopedia
本名植松 秀一郎
没年月日不詳年
| 本名 | 植松 秀一郎 |
|---|---|
| 没年月日 | 不詳年 |
| 師匠 | 2代目月亭文都 7代目朝寝坊むらく 2代目桂文團治 |
| 名跡 | 1.月亭春松(1892年 - 1913年) 2.朝寝坊小夢(1913年 - 1914年) 3.5代目月亭文當(1914年 - ?) 4.月亭春松(不詳) |
| 活動期間 | 1892年 - ? |
| 所属 | 三友派 浪花落語反対派 花月派(後の吉本興業部) 吉本興業 |
| 備考 | |
| 『落語系圖』の編者 | |
月亭 春松(つきてい はるまつ、生没年不詳(明治初期ごろ生まれ、昭和初期没とされる))は、上方噺家。『落語系圖』の編者として知られる。本名は植松 秀一郎。
1892年1月15日、2代目月亭文都門下となり春松を名乗る。1893年11月、京都板井席の今枝恒吉一座で植松一郎の名で出演を皮切りに1894年以降、東京や京都で歌舞伎・新派の劇団にも所属し、役者として活動する。落語家になった当初は三友派に所属した。
1913年、7代目朝寝坊むらく(のちの3代目三遊亭圓馬)門下で朝寝坊小夢となる。1914年、同門の月亭小文都の尽力で再び文都門下に復帰し、5代目月亭文當を名乗る。文當を名乗ってからは京都に出向いたりなどした。
師匠の死後は2代目桂文團治(7代目桂文治)の預かり弟子となり再び月亭春松を名乗る。そののち浪花落語反対派から花月派(後の吉本興業部)に移り、後年は吉本興業で事務を務めたという。1922年以降の落語家連名表には名前が掲載されていない。