春秋時代に呉王夫差により治城が築城される。
三国時代には呉の銅鉄器の製造拠点になる。
晋代には治城寺が建立される。
南朝宋の明帝の泰始6年(470年)に総明観が建てられる。総明観とは古代南方で最も早く建てられた社会科学研究機構である。
唐代には太極宮が建てられ、李白・劉禹錫ら詩人たちも訪れている。
宋代に天慶観と改められる。
元代には玄妙観と称され、後に大元興永寿宮と改められる。
明の洪武17年(1384年)に太祖朱元璋が建て直し「朝天宮」の名を下賜する。これにより「朝天宮」の名が定着する。
明末に戦火により一部被害を受ける。
清代に康熙・乾隆年間に規模を拡大する。
太平天国の統治下は火薬製造と貯蔵場所となる。
清の同治5年~9年(1866年~1870年)に両江総督の曽国藩により建て直される。