木曾義通 From Wikipedia, the free encyclopedia 木曾 義通(きそ よしみち、生没年不詳)は戦国時代の武将。母は武田信玄の三女で、木曾義昌の正室の真竜院。 兄・義利は粗暴な振舞多く、慶長5年(1600年)、改易処分となり、下総阿知戸(網戸)1万石を収公された。義通(義一)は家臣に「(義利は)先祖から伝わる本国までも離れ、この身上(改易)になったことは、我らにとってひとしお無念である」と語り、母とともに木曽に戻ったと伝わる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles