木村伸一
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小学生のときに父親が事業で失敗して自己破産して家計が苦しくなる。このため中学校1年生から新聞配達をはじめ、高校生になれば年齢をごまかしてアルバイトをして家に金を入れて家計を支えていた。
親戚が黙ってジャニーズ事務所に応募をしたところ、ジャニー喜多川が自宅に電話をかけてきたが、母親は相手にしていなかった。別の日にジャニー喜多川が電話をかけてきたときには姉が電話に出て、バイト先を教えていた。バイト先の勤務時間にKinKi Kidsのコンサートがあるから来るようにと電話がかかってきたが、断ったところマネージャーに行くように言われたためジャニー喜多川に会いに行った[1]。ジャニー喜多川に会うと第一声で「ダサい」と言われた。だが「顔が良いため絶対にスターになれる」とも言われ、ソロで秋口にデビューさせると言われていた。父親が事業に失敗してそれどころではないし、就職も決まっているということを伝えたところ、「学費は全額払うから、秋のデビューまでに専門学校に通うように」と勧められる。それから色々悩んだが、東京にジャニー喜多川に会いに行くことにした[2]。ジャニー喜多川の自宅マンションを紹介され、「デビューしたらこのマンションに住める」と言われていた。その日には性的なことはされていなかった。翌日に疲れて発熱し、ジャニー喜多川に世話をしてもらった。風呂に入るように促されたために風呂に入ったところ、ジャニー喜多川に体を洗われた。その翌日には熱が下がったが、夜に寝ていると下半身が濡れている感触があり、恐る恐る布団をめくったところジャニー喜多川に性被害を受けていた。これを断れば住む場所も学校もデビューの話も全部なくなると思ったために耐えていた。1995年3月になると、秋からワールドカップバレーボールが始まるため、それに会わせてグループを作るということが伝えられた。そのグループとは1995年9月にデビュー会見をしたV6であった[3]。だがジャニー喜多川からの性的な行為を拒否したところ、デビューメンバーから外された。当時は「ジャニー喜多川からの行為を受け入れなかった自分の責任」と自分を責め続けていた。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にも出演していた[4]。
ジャニー喜多川性加害問題が発覚してからは、ジャニーズ性加害問題当事者の会のメンバーとして活動していた。2023年10月2日にジャニーズ事務所による記者会見が行われたが、これに対して木村は、「新たに設立する会社に所属タレントを移すという事は、結局は今の事務所を存続することとほとんど変わらない」と批判し、「所属タレントは別の事務所に移籍させて、今の事務所の芸能活動を無くすべきである」と訴えていた[5]。またジャニーズ事務所外部専門家による再発防止特別チームに関しては、「事務所が新たな組織を作るのは適切ではない」としていた[6]。
脚注
- ↑ 「週刊文春」編集部 (2023年9月24日). “「拒んだから、こんな人生なんだ」“幻のV6メンバー(46)”が苦悶の日々を実名顔出し初告白 ジャニー喜多川が残した傷”. 週刊文春. 2025年11月26日閲覧。
- ↑ “「性加害に耐えなければデビューできない」…V6メンバー入りが幻に 元ジャニーズJr.木村伸一さんの告白:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2025年11月26日閲覧。
- ↑ “「性加害に耐えなければデビューできない」…V6メンバー入りが幻に 元ジャニーズJr.木村伸一さんの告白:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2025年11月26日閲覧。
- ↑ 『FLASH』編集部 (2023年10月3日). “岡田准一退所で思い出す『元気が出るテレビ』でジャニーズ入所の過去 北野武は性加害に「ずっとあった」発言”. Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]. 2025年11月26日閲覧。
- ↑ “「被害者をばかにしている」ジャニーズ会見に当事者たちが再び怒った 「芸能活動なくすべきだ」との声も:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2025年11月26日閲覧。
- ↑ Japan, The Hollywood Reporter (2023年10月4日). “ジャニー喜多川氏の性加害問題: 478人が被害を報告、社名変更に非難の声も”. THR Japan. 2025年11月26日閲覧。