本多忠篤 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 江戸時代中期生誕 享保4年(1719年)死没 延享4年8月20日(1747年9月24日)官位 従五位下・兵部少輔 凡例本多忠篤時代 江戸時代中期生誕 享保4年(1719年)死没 延享4年8月20日(1747年9月24日)官位 従五位下・兵部少輔藩 伊勢神戸藩世嗣氏族 本多氏(彦八郎家)父母 本多忠統兄弟 康桓、小笠原信胤、忠篤、忠栄、忠永、忠明、忠国、康政、藤堂良由正室、藤堂良端養女、松平信敏正室、本多忠英正室妻 甘露寺尚長娘広橋兼広娘子 忠興、渡辺綱通正室テンプレートを表示 本多 忠篤(ほんだ ただあつ)は、江戸時代中期の伊勢国神戸藩の世嗣。官位は従五位下・兵部少輔。正室は甘露寺尚長の娘、継室は広橋兼広の娘。子は本多忠興(長男)、渡辺綱通正室。 神戸藩初代藩主・本多忠統の三男として誕生した。 長兄の康桓は宗家である近江国膳所藩主・本多康敏の跡を継ぎ、次兄の小笠原信胤も越前国勝山藩主・小笠原信成の養嗣子となったため、三男ながら神戸藩嫡子となる。元文2年(1737年)徳川吉宗に御目見し、従五位下、兵部少輔に叙任されたが、家督相続前の延享4年(1747年)に早世した。 代わって弟の忠永が嫡子となった。 Related Articles