光緒5年(1879年)、四川省叙州府富順県自流井に生まれる。もとの名は「世全」であったが、学業を終了する頃に「世楷」、字を「宗儒」と改めた。儒教を学び、孔子を尊崇していたことからつけた名である。25歳の時に思想は大いに変化し、孔孟の道は結局自分の目指すべき道ではないと考え、「宗吾」と改名した。
科挙に及第して古今の学に通じ、早くから中国同盟会に加入し長期にわたり教育活動に従事する。中国校長・省議員・省長署・教育庁副庁長・督学などを歴任。十年の官界での生活をへて、その腐敗しきった環境に愛想をつかして隠栖し、もっぱら著述の筆をとる。郷里で病没、享年64歳。