李神宗
李朝大瞿越5代皇帝。子に李天祿(明道王)
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生涯
3歳のとき、李仁宗に養子として迎え入れられ、太子に立てられた。天符慶寿元年(1127年)12月に即位し、史称「性資聡睿」である。1128年(大順元年)に宋に使節を派遣した。その結果、太傅阮公平が討伐し、勝利して返還した。1129年、父である崇賢侯を太上皇に、母である杜氏を太后に、洞仁宮に居住した。翌年、太上皇が崩御し、恭皇と諡号された。1131年、宋の高宗は神宗を交阯郡王に封した。1132年農暦8月、真臘と占城が乂安州を攻め、太尉楊英珥がそれを討伐した。 天彰宝嗣4年(1136年)、農暦二月、乂安州で地震が発生した。数か月後、真臘将蘇破稜は再び乂安州を攻撃し、太傅阮公平は軍を率いて彼と交戦した。天彰寳嗣5年(1137年)、永光殿で崩御した。天徳府に埋葬された[1]。