東郷重尚
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出自
経歴
慶長5年(1600年)8月1日の伏見城攻めで兄・源四郎重信が戦死したために家督相続した。
島津忠恒の命で元宇喜多秀家家臣で、島津家に仕官していた本郷義則について日置流弓術を学ぶ。後に島津家久とともに伏見に上り、家久の命で日置流印西派の祖である吉田重氏(印西)の弟子になって皆伝を授かり、帰藩して弓術師範となる。はじめは帖佐と加治木の間に住み、後に鹿児島城下に移る。谷山郷(現在の鹿児島県鹿児島市)地頭代時代は谷山に住み、谷山衆中に編入された。後に鹿児島衆中に戻る。谷山衆中時代の寛永12年の石高は51石で、晩年の万治2年の石高は99石9斗。
嗣子がなく、甥で江夏友賢の孫の東郷重虎(後に重張と改名)を養子とする。菩提寺は松原山南林寺。法名は心與利成庵主。後に傳弓院を追号される。現在、墓は南林寺由緒墓にあり、示現流剣術の達人として知られる薬丸兼福の墓の隣にある。
系譜
- 父:東郷重勝
- 母:不詳
- 養子:東郷重張
参考文献
- 上野尭史 『鹿児島士人名抄録』高城書房、2006年1月。ISBN 978-4887770782。
- 太原久雄「南林寺に蔵む」
- 「鹿児島県史料 旧記雑録追録1」