柳崇 From Wikipedia, the free encyclopedia 柳 崇(りゅう すう、生没年不詳)は、北魏の官僚・政治家。字は僧生。本貫は河東郡解県。 秀才に挙げられ、太尉主簿・尚書右外兵郎中を初任とした。河東郡と河北郡の塩池をめぐる境界争いを調停するため、孝文帝の命を受けて検断におもむいた。また荊州・郢州の新領土の民心を安定させるために派遣された。帰還すると、太子洗馬・河東郡邑中正となった。中塁将軍・散騎侍郎に転じた。司空司馬となり、衛尉少卿を兼ね、また邑中正を兼ねた。河北郡太守として出向した。在官のまま死去した。享年は56。輔国将軍・岐州刺史の位を追贈された。諡は穆といった。 逸話 柳崇が河北郡太守となったとき、郡民の張明の馬が盗まれる事件が起こって、十数人が疑われた。柳崇はおのおのと面談して雑談をしながら様子をうかがい、真犯人の呂穆ら2人を捕らえて、残りは釈放した。 子女 柳慶和(軽車将軍・給事中・河東郡邑中正) 柳楷(字は孝則、中軍将軍、撫軍司馬) 伝記資料 『魏書』巻45 列伝第33 『北史』巻27 列伝第15 Related Articles