栃原金山
From Wikipedia, the free encyclopedia
栃原金山は16世紀後半に同地を含む常陸一帯を支配していた佐竹氏の金山開発政策によって発見され、久慈川流域の久隆金山や水戸市の木葉下金山・有賀金山などとともに採掘が行われていた。産出量は非常に多く、当時豊臣政権下で上納していた金の量は全国3位であったと言われる[誰によって?]。
しかし関ヶ原合戦で佐竹氏当主・佐竹義宣は親交があった石田三成を慕い西軍についてしまったため、常陸54万石から秋田20万石へと減封となってしまった。その際これらの金山は、旧佐竹領に新領主として入ってきた徳川氏の接収を避けるため坑道を封鎖し、鉱山そのものを完全に放棄したため江戸時代に採掘が行われることはなかった。
昭和初期には「金山沢鉱山」として採掘を再開。一定の産出量を出したが1943年の金山整備令により休山指定されてしまう。その後は長らく採掘が行われなかったが、1982年に大子鉱山株式会社栃原鉱業所が試掘を開始。有望な鉱床が発見されたため1987年に社名を東洋金属工業株式会社へと変更し採掘を開始した。
当初は順調な経営であったものの、操業開始から数年後金の価格が徐々に低迷。なんとか採掘を続けるも1999年に休業となってしまった。しかし採掘は断念しても、豊富な埋蔵量を活かし観光鉱山への転換を画策。採掘時に使用していたバテロコや人車を改造した客車などを使っての坑道見学、「金山水」と称した金粉入りのミネラルウォーターの販売などを行ったが軌道に乗らず、正確な年月は不明だが平成中期頃には鉱山そのものが放棄された。
法令上は現在も「休山」であるが事務所との連絡は取れず、実質的な廃鉱山である[要出典]。