大阪産業大学高大東校舎時代は、後に中日ドラゴンズのエースとして活躍する今中慎二とバッテリーを組んで1年秋は府大会準々決勝でPL学園の野村弘に完封負け。2年春の府大会も準決勝でPL学園の橋本清に完投で敗れた。秋は準々決勝で6回コールド負け。3年次に学校が大阪産業大学高から分離独立し大阪桐蔭高となる。甲子園出場経験は無し。
1988年オフ、ドラフト外で日本ハムファイターズに入団。
しかし、田村藤夫や若菜嘉晴の壁は厚く、一軍出場を果たせないまま1992年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。
その後、日本ハムのブルペン捕手を1996年まで務めた。