桜井信忠 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 天正元年(1532年)?死没 慶長15年(1610年)?戒名 実岫玄相居士 凡例桜井信忠時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 天正元年(1532年)?死没 慶長15年(1610年)?戒名 実岫玄相居士墓所 東禅寺(甲府市桜井町)主君 武田信玄、勝頼 - 徳川家康氏族 武田氏(桜井氏)父母 父:桜井信貞 母:武田信虎妹?妻 小幡虎盛の娘テンプレートを表示 桜井 信忠(さくらい のぶただ、天正元年(1532年)? - 慶長15年(1610年)?)は、戦国時代の武将・江戸時代初期の幕臣。甲斐国武田氏家臣・徳川氏の奉行。初名は信富、官途名は右近助、受領名は安芸守。父は桜井河内守信貞あるいは信富。室は小幡虎盛の娘。 『甲斐国志』によれば、桜井氏は甲斐守護・武田信縄の末子桜井信貞(河内守)を祖とする一族で、武田氏の居館である川田館に隣接する桜井(甲府市桜井町)の地に屋敷を構えたという。信忠の父は桜井信貞あるいは桜井信富とされ、信忠に至る系譜を二代とする説と三代とする説がある。母は武田信虎の妹と言われる。 『甲陽軍鑑』によれば、武田信玄・勝頼に奉行として仕える公事奉行として、市川家光(元松)とともに内政に携わる。初見文書は天正4年(1576年)8月に甲府の一蓮寺に宛てた文書(「一蓮寺文書」)。 天正10年(1582年)3月に織田信長の武田征伐による武田氏の滅亡、6月の本能寺の変による信長没後は甲斐を領有した徳川家康に仕え、小田切茂富、跡部昌忠、石原昌明とともに代官大久保長安配下の徳川四奉行の一員となった。 法名は実岫玄相居士。墓所は山梨県甲府市桜井町の東禅寺。 参考文献 服部治則「近世初頭武士集団における親族関係(七)」『山梨大学教育学部研究報告』22号 黒田基樹「桜井信忠」『武田信玄大辞典』新人物往来社、2000年 平山優「桜井信忠」『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年 平山優『新編武田二十四将正伝』武田神社、2009年 Related Articles