梁雅子
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大阪府安治川出身。実家は鉄鋼商であった[2]。大阪府立市岡高等女学校(現:大阪府立市岡高等学校)、樟蔭女子専門学校国文学科(現:大阪樟蔭女子大学)中退。市岡高女時代の後輩には河野多恵子がいる[3]。1931年(昭和6年)に結婚し1男2女をもうけた。そのうち長男はノックは無用!のプロデューサーであった梁典雄[注釈 1][2][4]。戦時下は羽曳野市内に疎開[2]。
当初は歌人として活動を行っていたが、後に小説家に転向し稲垣足穂に師事する[2]。
1960年(昭和35年)の第十一回女流文学者賞にて養老院を題材にした『悲田院』が受賞[5]。曽野綾子の『たまゆら』や有吉佐和子の『紀ノ川』と争っての受賞であり[2]、初版は6000部を売り上げた[4]。同年には大阪芸術賞を受賞[6]。
1961年(昭和36年)には前年に発表した『道あれど』を基に田中澄江が脚色、脚本を行った映画『女ばかりの夜』が公開された。
評価
著作
歌集
- 国際文化協会出版部『うづまき : 歌集』1950.11
小説
- 三一書房『悲田院』1959
- 三一書房『道あれど』1960
- 講談社『恋人形』1962
- 淡交社『浄瑠璃寺・岩船寺・円成寺』1965
- 淡交社『月の京都』1969
- 三一書房『まぼろし大江山』1969
- 朝日新聞社『文五郎一代』1970
- 星雲社『われ餓えたる民』1995 ISBN 4-7952-8156-4(死後出版)