教会週報 1995年1月1日
我々一人一人は、ザイン・ツム・トートゥ (死に至る存在)でなく、ザイン・ツム・レーベン (永遠のいのちに至る存在)であることを確信させられる歩みがしたいものだ。
教会週報 1996年6月23日
もし自分を言い表すことがあれば、煩悩のある者、煩人と言うだろう。108の煩悩から84,000の煩悩があると言われるのだから、私のなかには煩悩が渦を巻いている。そういう意味で凡人ではなく煩人である。この煩悩が絶てなくて人は苦しんでいるのだから。除夜の鐘も108回鳴らして煩悩を払い落とすというなら、84,000もの煩悩を (業とも言う)落とすためには700年以上かかるものである。人間の煩悩は自分で落とそうと思って落ちるものではないことを教えている。 (中略)
イエス様の十字架の死は、煩悩や罪や咎などをすべて負ってくださったのである。そのイエス様に感謝するのが、信仰であり礼拝である。僕は凡人ではなく、煩悩の人・煩人でよかった。イエス様に助けられたから。
聖母愛児園施設長に就任したとき。2001年4月
私たちは、神を父とし、聖母マリア様を母とし、み子キリストを長兄(一番上の兄)とする神の家族です。互いに愛し合うというのは、聖母愛児園で家族的な関係を作りあげるということです。『愛』と言う言葉は名詞でなく動詞と捉えなくてはなりません。実際の生活の中で努力するということです。英語で愛は「LOVE」です。L はlisten のL で「よく聴く」こと、O はopen heart のO で「心を開くこと」、V はvoice のV で「言葉に出すこと」、E はeating のE で「食べること」を意味しています。日常生活のなかでこれが生きて働くとき、愛が生かされるのです。
聖母愛児園を語る 2003年6月8日
職員たちに、「10回起こしても起きなかったら11回言ってごらん」「20回言ったら21回言ってごらん」と言うのです。限りがないのです。「どこまで待てますか?」と「どこまで待てばいいのですか?」と職員たちは聞くのです。だから「死ぬまで待ってください」「あなたの忍耐は死ぬまでできるかな?」と言うのです。「誰がですか?」と言われて「あなたが」とこちらが言うと「わっ、わたしなんかそういう仕事をしにここに来たのではありません」と言う、そういう職員たちを励ましながら取り組んでいるのです。
とにかく子供を理解するということは、アンダースタンド (under-stand)ということは子供と同じ地平に立つこと、上に立って何か言うことではない、子供は何を考えているのか、何を言おうとしているのか、そのことをよく考えてごらんなさい、というふうなことを言っておりますが、まあこれも大変な仕事だなあと思いつつ、ぼくはいつも先生たちに感謝していますよ、拝んでいますよと言っております。
聖母愛児園65周年記念式の祝辞2010年9月18日
聖母愛児園のモットーは、私たちは新しい神の家族であります。園に迎える子どもたちも、園の職員、ひとりひとりも子どもを迎える立場ですが、家族となれるよう、子どもひとりひとりに寄り添って、簡単な事でないけれど家族になると言うことは、職員の側も、子どもの側も大変な努力、大変な自分との闘いが必要です。その闘いはひとりで闘うのではありません。相手の子どもも自分以上に闘っているのです。それに気づいてやれる感受性を育てて下さい。新しく入園する子どもたち、新しく就職する職員たち、児童養護施設は家族になるための常在戦場です。自分が自分自身との闘いの場です。 (中略)
児童養護施設という職場は、そのような人生の学校、道場です。元気を出して、元気!!、元気!!、元気!!とかけ声を!!
間に合うことが愛
児童心理療育施設創設、カトリック系法人からルーテル系法人への財産移管手続き、児童養護施設改築事業の際の実務担当者に何度も伝えていたのが「間に合うことが愛」だった。資料提出や会議日時、待ち合わせなど、約束は必ず守るようにすることで事業がスムーズに進捗していくことへの教訓であり、それは、相手のことを思っての行動であり、そこに「愛」があると伝えていた。特に自治体との取引については、短期間での資料提出を求められることもあり、実務担当者は「間に合うことが愛」を忠実に守っていた。
「心配センデヨカ」熊本弁の口癖
1975年、日本福音ルーテル教会(JELC)は、海外教会からの財的支援を断り自立した。森勉は、1976年、広報室長、書記、事務局長と歴任。4年後の1980年に総会議長に選任された。その間、神学教育や会堂の老朽化対策、開拓支援などでは資金不足が懸念され、収益事業を起こすこととなった。その事業が市ヶ谷センター、ホテル・ザ・ルーテル、女子学生会館カテリーナである。当時「伝道し、奉仕する神の民」というスローガンを立て、宣教の自立とした。
森勉は、トボケの森と評され飄々とした本質は懐深く、「ヨカ、ヨカ」「心配センデヨカ」と人々を安心させる包容力があった。