福岡県田川郡香春町生まれ、福岡県立田川農林高等学校を経て鳥取高等農業学校(現・鳥取大学農学部)、農林省(現・農林水産省)を経て、秋田県農業試験場で研究員として勤務していたが、第二次世界大戦で森友三治(満州国副参事官、満州国にて死亡)、森友一(日本海軍、戦死)が亡くなり森友家の跡継ぎ不在となったため、福岡県へ帰郷。帰郷後も農業研究の経験を活かし、農業実習の指導や農村における副業についても研究・指導、また国連職員としてモンゴルでの農業普及にも貢献した。
- 1924年(大正13年)3月 福岡県立田川農林学校卒業(第5回生)
- 1927年(昭和2年)3月 鳥取高等農業学校卒業(第4回生)