植本一雄
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1933年(昭和8年)、東京府で生まれる。父は植本十一、母は植本コユウの長男。
4歳からピアノを習い、7歳から4年間絶対音感教育を受ける。10歳にて鈴木鎮一にヴァイオリンを、シャピロにピアノを習うも戦争のため中断。この頃から作曲を始め、19歳で亡くなるまで数多くの童謡、歌曲、霊歌、カンタータ、ピアノ曲を作曲する。
14歳にて日本ビクター児童合唱団にボーイソプラノとして入団、GHQチャペルセンター聖歌隊にも加わる。
1949年(昭和24年)、東京都千代田区の暁星高等学校に入学する。暁星高校1年生の時に聖堂ベネディクションオルガン伴奏者に任命される。続いて暁星聖歌隊長を拝命する。16歳より渡辺浦人に師事、作曲理論を学ぶ。
音楽家志望により暁星高校を2年にて中退し、作曲理論を高田三郎、合唱指揮法を中田羽後に師事して音楽と語学(英語・フランス語)の勉学を続ける。
1949年(昭和24年)に作詞作曲した「長崎の鐘」は藤原義江の歌でビクターレコードから発売され、永井隆によって賞賛される。また、懸賞入選の新賛美歌「みまねきかしこし」は329番として賛美歌集に収録される。
一方、19歳の時、青少年の健全育成を目指した「世界あじろ木同盟」を設立し活動するも、病のため1953年(昭和28年)6月26日にこの世を去った。
柳原白蓮は「貴方は余りに美しかった まるで生きた観音様のような・・・」で始まる弔辞で、「天つ空にあらわれいでし星のあり きみがみたまのひかりとぞ思ふ」の歌を詠んだ。