榛沢氏 From Wikipedia, the free encyclopedia 本姓 多治比氏家祖 新里成房種別 武家出身地 武蔵国榛沢氏 本姓 多治比氏家祖 新里成房種別 武家出身地 武蔵国主な根拠地 武蔵国著名な人物 榛沢成房 榛沢成清凡例 / Category:日本の氏族 榛沢氏(はんざわし)は、日本の氏族のひとつ。 宣化天皇の曾孫の多治比古王(たじひこのおおきみ)を祖とする多治比氏の流れで 丹党の新里成房(にっさとなりふさ)を始祖とする武家である。平安時代末から鎌倉時代にかけて栄えた。源平合戦で平家方だったが後に鎌倉幕府の源頼朝の傘下に入る。奥州合戦では功を立てたが、成清の代の1205年に北条時政に滅ぼされた。 榛沢氏の祖先は、第28代宣化天皇の曾孫とされる多治比氏の流れを汲み、武蔵国で丹党を結成した。 本拠地は武蔵国であるが、丹党の有力な一族である新里成房が、現在の埼玉県深谷市榛沢の地に移り、その地名を採って「榛沢」と名乗ったのが始まりである。武蔵七党のうち丹党に属し、同族の武士団として連携しながら勢力を拡大した。 歴史 平安時代末期・源平合戦 他の武蔵武士と同様に、治承・寿永の乱(源平合戦)では当初平家方につくが、後に源頼朝の勢力下に入り、御家人となった。 『吾妻鏡』には、源頼朝の奥州合戦(藤原氏討伐)に従軍し、功を立てたことが記されている。 鎌倉時代およびこの時期の著名な人物 榛沢成清 - 榛沢氏で最も著名な人物。成清の母は、同じ武蔵七党の有力武将である畠山重忠の乳母であり、成清と重忠は乳兄弟の関係にあった。1205年(元久2年)、北条時政の陰謀により畠山重忠が討たれた「二俣川の戦い」において、成清は主君の重忠と運命を共にし、討ち死にした。 終焉とその後 - 成清死により、榛沢氏は武士団としての勢力を失い、歴史の表舞台から姿を消した。しかし、 その名や血筋は地域に残ったと考えられ、現在も埼玉県深谷市には「榛沢」の地名が残っている。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 参考文献 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2025年11月) 『吾妻鏡』 『武蔵七党系図』 『新編武蔵風土記稿』 Related Articles