武田雅楽
From Wikipedia, the free encyclopedia
武田 雅楽(たけだ がらく 生没年不詳)は戦国時代の武将。父は甲斐武田氏の親族衆の武田信豊。横畠左馬介貞秀とも称した。
甲州征伐において、3月2日に父・武田信豊、家臣20騎程と共に郡内領へ逃れる武田勝頼と別れ、信濃小諸城(長野県小諸市)へ逃れて再起を図った。しかし小諸城(長野県小諸市)の城代の下曾根浄喜に叛かれ、二の丸に火を掛けられ父や祖母・養周院、家臣とともに自害したとされている。
伝承では、甲州征伐において土佐国へ脱出し、横畠の里で片岡氏の家臣となり、横畠左馬介貞秀と名乗り、越知町横畑八頭地区、やがしら「館城」に住み、片岡氏が滅びた後も勢力を保ち続けた。なお、現在も血脈は続いており、直系の子孫は武田家の末裔とその家臣団の末裔のみで組織する武田家旧温会に所属、信豊とともに自害したのは長男の武田法輝であると主張している。