武藤兼友
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武藤兼友(むとうかねとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。森長可が織田氏に仕える前からの森氏の家臣。
宇佐山城攻防戦
元亀元年(1570年)9月、主君の森可成が朝倉義景と浅井長政の連合軍の侵攻に伴い宇佐山周辺の街道の封鎖と迎撃に同行。
同年9月19日、援軍に来た近江の国人領主の青地茂綱と京都周辺の防衛を担当していた野府城主の織田信治と共に森可成が出撃する。主な森家家臣は宇佐山城に残り防衛に徹した。武藤兼友、尾藤重吉、重房父子、林通安、各務元正、肥田忠政などが主な残留家臣。出撃した部隊は全滅という報告を受け、宇佐山城は比叡山、朝倉、浅井連合軍の総攻撃を受けることになる。各務元正が中心となり防衛に成功し、織田信長の本隊が戻って来た為、連合軍は後退した。