江里口信常 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 天文17年(1548年)?死没 天正12年3月24日(1584年5月4日)別名 藤七兵衛 凡例江里口 信常時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 天文17年(1548年)?死没 天正12年3月24日(1584年5月4日)別名 藤七兵衛主君 鍋島信房→龍造寺隆信氏族 桓武平氏千葉氏流江里口氏父母 父:江里口常併兄弟 某、信常子 九郎右衛門(諱不詳)等、諸説ありテンプレートを表示 江里口 信常(えりぐち のぶつね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。龍造寺四天王の一人。江里口氏は元は肥前千葉氏の庶流であったが、千葉氏の衰退の結果、龍造寺氏に仕えて、その家臣となった。 はじめ鍋島信房に仕え、その弟の直茂が養子入り先の千葉家から実家に戻る際に、直茂に付けられた12名の家臣のうちの一人といわれる。江里山の麓に居住していたため、代々江里口氏を称している。 天正12年(1584年)、島津氏との戦い(沖田畷の戦い)で龍造寺隆信が戦死すると単身、味方と偽って敵陣に乗り込み、敵の総大将・島津家久の首を狙ったが、家久の左足を傷つけるに終わって総大将の首を討つには至らず、その場でなぶり殺しにされた。家久から「無双の剛の者」と賞賛され、一族がいれば召抱えたいと言わしめた。 Related Articles