沖縄刑務所暴動
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事件の概要
1954年11月7日、第1雑居舎第8房で受刑者がドアを突き破って脱出、他の部屋の受刑者を続々と解放した。中には刑務所外に脱走する者もいた。刑務所側は直ちに琉球警察に応援を要請した。琉球政府は刑務所の管理を臨時的に法務局から警察に移管することにした。
瀬長亀次郎が受刑者の代表として担ぎ出され、瀬長も琉球政府との交渉により事態の収拾を図るべきことを受刑者に説得した。受刑者らは、人権の尊重と懲戒行為を逸脱した暴力を振るう刑務官の罷免を要求した。受刑者らは「これは暴動ではなく、基本的人権を獲得するための闘い」であると主張したが、薬用アルコールを盗み出して「酒」として全受刑者に振舞ったり、家畜のブタを屠殺して豚料理を作るなど刑務所内は無秩序状態であった。
このような事態に至ったことから、琉球警察は鉄帽やカービン銃で武装した警官隊を刑務所内に導入し、11月11日に暴動は鎮圧されたが、刑務所長や暴力刑務官も懲戒免職になるなど、受刑者の要求にも一定の配慮をすることになった。翌年7月まで警察による刑務所の警備が行われた。