沖野岩三郎
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1876年1月5日、和歌山県日髙郡美山村に生まれる。1895年、和歌山師範学校に学び、川原河小学校(和歌山県)教師となり、この頃から小説等の創作活動を始める。22歳で龍神小学校(和歌山県)校長に就任。この間宣教師ジョン・バックスター・ヘールによりキリスト教に導かれた。1904年、上京し明治学院神学部に入学。1907年、新宮日本基督教会(和歌山県)牧師となる。この頃和歌山で大石誠之助、内山愚童、新村忠雄らと親交を持ち、大逆事件に巻き込まれるも、処刑を免れる。
1917年、再び上京し作家生活に入り、当時の政治的支配層の陰謀で抹殺された仲間たちの真実の姿を記して、世に表すことこそ自らの義務と感じ、大石の一族を題材とした『煉瓦の雨』(1918年)、大逆事件をテーマにした『宿命』(1919年)を発表し、『宿命』が大阪朝日新聞の懸賞に当選、宗教文学に独自の地歩を築いた。1918年「芝三田統一基督教会」(東京都)の牧師となり、他方児童文学者としても少年少女たちから「童話ノオジサン」として親しまれ、以後宗教活動をしながら執筆生活を送る。1924年には、小説『星は乱れ飛ぶ』が伊藤大輔監督、松本泰輔・沢蘭子主演により帝国キネマで映画化された。
大空襲によって東京の自宅が焼失し、終戦後の1945年から別荘のあった長野県軽井沢町に移る。1955年、軽井沢の星野温泉に「日本基督教団浅間高原教会」を開設し、「軽井沢高原教会」初代牧師となる。晩年は糖尿病の悪化により視力を失うものの、熱心な布教活動から「軽井沢の聖者」と慕われた。
1956年1月31日、軽井沢千ヶ滝の別荘「惜秋山荘」で死去。墓所は多磨霊園。