守宅神
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概要
考証

宮地直一『諏訪史』(1931年)より
『日本三代実録』の貞観元年(859年)2月11日条には信濃国に祀られている建御名方神(正二位)、八坂刀売神(従二位)、生島神・足島神(正四位下)、そして宝宅神(従五位上)の神階昇進の記事[注釈 1]があるが[6]、印本では「宝宅神」が「守宅神」となっている[7]。江戸末期には「守宅」を「もりや」と読み守屋山の神として洩矢神に比定する説が現れたが[注釈 2][8][9]、『守矢氏系譜』では洩矢神は守宅神の父神とし両者を別としている。
これについて山田肇(1929年)は「モレヤもモリヤも同語ではないか、洩矢の子は直ちに千鹿頭であらう。然るに此の間に守矢を置くのは洩矢神社と守矢大神祠とがあり、これを別神と認めた作為で、其の実は洩矢神即ち守矢大神とあらねばならぬ。されば一書には守矢の亦名千鹿頭となつてゐる」と書いている[1]。
一方大和岩雄(1990年)は狩猟性を示す洩矢神(ここでは守矢氏が祀るミシャグジと同視)が農耕性を持ったことから狩猟的「洩矢」と区別して農耕的「モリヤ」を「守宅(守田)」として『系譜』では父子関係になったという説を立てている[10]。

