濱口雄彦
日本の実業家 (1896-1976)
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人物
濱口雄幸・夏の長男として東京府に生まれる。本籍は高知県[3]。
東京府立一中、一高を経て[3]、東京帝国大学法学部卒業後、日本銀行に入行[4]。
計算局、門司支店調査役、ニューヨーク代理店監督役付を歴任。ニューヨーク駐在中、父が狙撃され、彼はこの事件で急遽帰国。昭和2、3年のパニック時代には特別融資整理部に籍を置き、金融恐慌の時代も経験した[3]。その後、大阪支店次長、調査役、広島支店長を担う[4]。
三和銀行の発足を受けて、1941年に関西信託、鴻池信託、共同信託が合併して三和信託が誕生すると[5]、専務として招かれ、三和銀行監査役も兼任した[3]。
1945年5月、三和銀行が三和信託を合併してからは職を退き、生駒で悠々自適の生活を送っていたが[3]、澁澤敬三日銀総裁に見込まれ、横浜正金銀行を改組した東京銀行設立業務に参画し、初代頭取に就く[3]。同行を退いた後は、愛知用水公団総裁や国際電信電話社長なども歴任した[4]。
親族
略歴
- 東京府立一中、一高卒業
- 1921年3月 東京帝国大学法学部卒業
- 1921年5月 日本銀行入行
- 1937年7月 大阪支店次長
- 1940年6月 広島支店長
- 1941年2月 退職
- 1941年4月 三和信託専務(1945年4月まで)
- 1941年8月 三和銀行監査役(1945年4月まで)
- 1946年12月 東京銀行頭取(1954年7月まで)
- 1949年5月 全国銀行協会連合会会長(1950年6月まで)
- 1955年10月 愛知用水公団総裁(1961年9月まで)
- 1962年5月 国際電信電話社長(1964年5月まで)
- 1971年5月 日本陶磁協会理事長 (1976年10月まで)
- 1976年10月 死去