浦添御殿
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 浦添御殿 | |
|---|---|
|
子持ち右三つ巴 | |
| 本姓 | 向氏(第二尚氏) |
| 家祖 | 浦添王子朝央 |
| 種別 | 琉球王族 |
| 出身地 | 琉球王国・首里 |
| 主な根拠地 | 琉球王国・首里 |
| 著名な人物 |
浦添王子朝央 浦添王子朝熹 |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
浦添御殿(うらそえおどん、沖縄語: うらしーうどぅん)は、尚穆王の次男・尚図、浦添王子朝央(1762年 - 1797年)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、代々浦添間切(現:浦添市)の按司地頭を務めた琉球王国の大名。
一世・朝央は尚穆王、尚温王の摂政を務めた。三世・朝熹も尚育王、尚泰王の摂政を務めている。また、朝熹は沖縄三十六歌仙の一人としても知られる著名な歌人である。四世・朝忠は分家に当たる向氏奥武殿内からの養子で、廃藩置県後は脱清して独立運動を展開した頑固党の人物。浦添御殿の墓(浦添市沢岻公園内)は、浦添市内最大級の亀甲墓で市の史跡に指定されている。

一世浦添朝央が1783年献納した扁額が鹿児島県 指宿市 開聞十町にある枚聞神社(ひらきき・じんじゃ)の宝物殿に展示されている。これは指宿市指定有形文化財(平成22年1月6日指定)で 琉球扁額7点のうちの一点である。扁額「天明三年癸卯仲夏穀旦/妙霊普済/球陽尚図浦添王子朝央」(1783年)[1]
