大日本帝国海軍の旗章
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戊辰戦争
戊辰戦争終結後
日章旗
| 旗 | 使用期間 | 名称 | 規格 | 根拠法令 |
|---|---|---|---|---|
| 国旗 | ||||
| 1870-1889 | 御国旗 | 縦7尺8寸、横1丈1尺7寸。日章の直径は(縦の5分の3)。風下(旗竿の反対側の淵)に5寸8分加える。 | 1870年10月27日(明治3年10月3日)太政官布告第651号「海軍御旗国旗及諸旗章ヲ示シ各省府藩県ヲシテ之ニ擬似スル者ヲ止ム」[8][9] | |
| 艦首旗 | ||||
| 1870-1889 | 艦首旗章 | 縦6尺、横8尺。日章は縦の5分の3で、旗の中心に配する。 | 上に同じ。 | |
| 1889-1945 | 艦首旗 | 縦横比は2:3。直径が縦の3分の2の日章を旗の中心に配する。 | 1889年(明治22年)10月7日勅令第111号「海軍旗章条例」[10][11] | |
| 1914年(大正3年)1月30日勅令第11号「海軍旗章令」[12] | ||||
| 1932年(昭和7年)11月27日勅令第359号「海軍旗章令改正」[13] | ||||
海軍旗
海軍旗は、後の海軍旗章条例により海軍大臣旗に受け継がれた。
軍艦旗
海軍御国旗は、日本の海軍における軍艦旗の初代とされる[14]。#日章旗を参照。
軍艦旗は、在役艦において、後檣縦帆架又は艦尾の旗竿に掲揚された。16条旭日旗が使用され、自衛艦旗に受け継がれている。
なお、江戸幕府の公儀軍艦印である中黒之旗の特性は軍艦旗にはあたらない。
皇室関連の旗
1889年(明治22年)勅令第111号の海軍旗章条例以後、天皇旗は天皇乗御の艦船において大檣頂に掲げられた。天皇旗を掲げた艦船においては、区別旗旈(海軍大臣旗、将旗、代将旗及び先任旗)及び長旗はすべて降下された。 天皇旗を初めとして皇族に関する旗には全て菊花御紋章の意匠が用いられたが、海軍旗章条例以前は金の日章と銀の月章が使用された。これは錦の御旗に同じであり、これを西洋式にしたものである。 また、これら皇族に関する旗の扱いはすべて天皇旗に同じである。ただし、親王旗に関しては親王が親王の資格としてではなく、武官の資格として乗艦している場合には掲げられなかった。
| 旗 | 使用期間 | 名称 | 規格 | 根拠法令 |
|---|---|---|---|---|
| 金日銀月章 | ||||
| 1870-1875 | 御旗 | 海軍御国旗に同じ。裏面は同径の銀の月章。 | 1870年10月27日(明治3年10月3日)太政官布告第651号「海軍御旗国旗及諸旗章ヲ示シ各省府藩県ヲシテ之ニ擬似スル者ヲ止ム」 | |
| 皇族旗 | 同上 | |||
| 菊章 | ||||
| 1875-1889 | 御旗 | |||
| 1875-1889 | 皇族旗 | |||
| 1889-1945 | 天皇旗 | 1889年(明治22年)10月7日勅令第111号 | ||
| 1889-1945 | 皇后旗、太皇太后旗、皇太后旗 | 縦横比は4:7。燕尾開裂は横の3分の1。菊紋の直径は縦の3分の2で、燕尾を除いた旗(横の3分の2)の中心に配する。 | ||
| 1889-1945 | 皇太子旗、皇太子妃旗 | 縦横比は2:3。菊紋の直径は縦の2分の1で、旗の中心に配する。紅縁の幅は縦の15分の2で、白枠は縦の15分の1。 | ||
| 1889-1914 | 親王旗、内親王旗、親王妃旗 | 縦横比は2:3。菊紋の直径は縦の2分の1で、旗の中心に配する。紅縁の幅は縦の15分の2。 | ||
| 1914-1945 | 皇族旗 | 上に同じ。 | 1914年(大正3年)1月30日勅令第11号「海軍旗章令」 | |
| 1926-1945 | 摂政旗 | 縦横比は2:3。菊紋の直径は縦の3分の2で、旗の中心に配する。白縁の幅は縦の15分の1。 | 1926年(大正15年)10月21日皇室令第7号「海軍旗章令中改正」[15] | |
海軍大臣旗
海軍大臣旗は、海軍大臣が公務を帯びて乗艦した場合に掲揚された。掲揚位置は天皇旗に同じ。
将旗
将旗は、将官が指揮権を帯びて乗艦した場合に掲揚された。海軍大臣旗を除く区別旗旈にはすべて8条旭日旗が用いられた(ただし、後の自衛隊旗とは異なっている。)。明治22年から大正3年までは、大将旗 - 少将旗の区別はなく、単に「将旗」と定められ、階級の違いは掲揚位置や紅球によって区別されていた。この当時の将旗の光線幅は11.25度、光線間隔は33.75度、光線数は8条とされた。
将旗及び代将旗は、司令長官又は司令官が初めて着任する時に掲揚し、解職により退去する時に撤去した。ただし、司令長官又は司令官に事故があり、その職務を執ることができないときは、その間は将旗又は代将旗は撤去された。 なお、縦横比はすべて2:3である。
大将旗
大将旗の掲揚位置は天皇旗に同じ。
中将旗
1889年(明治22年)から1914年(大正3年)当時は、中将旗は前檣頂に掲げられた。ただし、二檣以下の艦の場合は、風上の上隅に紅球1個を付した。
少将旗
1889年(明治22年)から1914年(大正3年)当時は、少将旗は後檣頂に掲げられた。ただし、二檣艦の場合は前檣頂に掲げられた。二檣以下の艦の場合は、風上の上下隅に紅球1個を付した。大正3年以降は、中将旗に同じく前檣頂に掲げられることとなった。
代将旗
代将旗は、司令官たる大佐(代将も参照)が指揮権を帯びて乗艦した場合に掲揚された。燕尾開裂は横の2分の1で上下は当分、縦横比は4:7と定められた。掲揚位置は天皇旗に同じ。
1870年(明治3年)から1889年(明治22年)までは白地の燕尾開裂旗に紅日章であった。縦横比は2:3で、燕尾開裂は横の3分の1とされていた。
先任旗
先任旗は、同港内に2艘以上の軍艦が碇泊し、司令長官又は司令官が不在のときに、先任艦長がこれを後檣頂に掲げた。但し、二檣艦の場合は前檣頂に掲げられた。 なお、規格は先任旗に同じであり、白紅を反転させたものである。
海軍附属護送船旗
水先人旗
| 旗 | 使用期間 | 規格 | 根拠法令 | |
|---|---|---|---|---|
| 水路嚮導旗 | ||||
| 1870-1889 | 縦横比は3:4。 | 1870年10月27日(明治3年10月3日)太政官布告第651号「海軍御旗国旗及諸旗章ヲ示シ各省府藩県ヲシテ之ニ擬似スル者ヲ止ム」 | ||
| 要招水先旗 | ||||
| 1889-1897 | 縦横比は2:3。日章の直径は縦の2分の1で、旗の中心に配する。紺縁の幅は縦の15分の2。 | 1889年(明治22年)10月7日勅令第111号「海軍旗章条例」 | ||
要招水先旗は、海軍艦船において水路嚮導者を要招するときに掲げられた。ただし、普通信号を以て水路嚮導者を要招するときは掲げられなかった。
当直旗
運送船旗
運送船旗 は、海軍所属運送船および運送をする目的で傭役する船舶の大檣頂に掲げられた。ただし、海軍所属船舶において船長が海軍将校の場合は掲げられなかった。
軍用船旗
軍用船旗は、海軍軍人が指揮する特設艦船の大檣頂に掲げられた。ただし、病院船は例外とされた。
病院船旗
海軍軍医療旗章(軍医療廃止後は海軍病院旗章)は、戦時もしくは事変の際に海軍病院もしくは病院船が掲げた。また、病院附属の物品を運送する舟車などもこれを掲げた。1886年(明治19年)のジュネーヴ条約に日本が加盟したことで、1904年(明治37年)に赤十字旗へと改定された[16]。
海軍病院旗は、赤十字旗である。戦時もしくは事変の際に海軍病院もしくは治療所の旗竿または病院船の大檣頂に掲げられた。また、治療所または病院船用の物品を運送する舟車などもこれを掲げた。
工作船旗
工作船旗は、海軍工廠所属の船舶など、工作のために軍用に供する船舶の大檣頂に掲げられた。 ここでの工作船とは、工作艦のことを指しており、同名の別名がある不審船とは異なる。
| 旗 | 使用期間 | 規格 | 根拠法令 |
|---|---|---|---|
| 1932-1945 | 縦横比は2:3。紅縁はそれぞれ縦の15分の2。紺山形は当直旗に同じ。 | 1896年(明治29年)11月12日「海軍旗章条例ヲ改正ス」 |




