淡墨観音
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1913年(大正2年)、淡墨桜が大雪の為、幹の一部に亀裂が発生し、樹勢が弱まりだす。さらに1920年(大正9年)の暴風雨により大枝が折れ、さらに深刻化する。
1922年(大正11年)、高橋至道(臨済宗の僧侶)がこの地を訪れたさい、淡墨桜の話を聞き、この霊木の枝を使用して観音像の建立を考える。1920年に折れた大木を使用して着手する。
1923年(大正12年)4月、観音像を納める厨子が完成する。厨子の材料は唐招提寺の古材である。この古材は唐招提寺の解体修理のさいシロアリの被害を受けていた柱などであり、昆虫学者名和靖(名和昆虫博物館初代館長)が研究用で所有していたものが提供されたという。
1923年(大正12年)5月3日、落慶法要、開眼供養が行われる。
