潘岳
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生涯
祖父は安平太守の潘瑾。伯父は後漢の献帝が魏の曹操(太祖武帝)に魏公と九錫を与えたときに、「冊魏公九錫文」を草した人物として知られる潘勗である。父は琅邪内史の潘芘。
12歳の時に楊肇に才能を認められ、後年には楊氏の女を妻に娶る。
その後、賈謐に才能を惜しまれ、「賈謐二十四友」として引き立てられた。しかし、この時石崇とともに賈謐に追従する様はいささか過度であり、「後塵を拝す」の故事を生んだ。
新たに後ろ盾となった賈氏も、司馬倫のクーデターの際に一族皆殺しにされた。司馬倫の側近の孫秀は、かつて潘岳の家の召使いをしていたことがあり、潘岳に虐待されたことを恨んでいた。潘岳はその後、司馬允がクーデターを起こし失敗した際に、孫秀の讒言で共謀していたと見なされ、友人の石崇などと共に処刑された。