潘賢妃 From Wikipedia, the free encyclopedia 賢妃潘氏(けんひ はんし、? - 1148年)は、南宋の高宗の妃嬪。 開封府の人。医師の潘永寿の娘。初め、康王趙構(後の高宗)の側女を務めた。 靖康の変の際に、潘氏は側室の身分ではなかったため、金軍の連行を免れ、戦火を逃れて避難した。靖康2年(1127年)5月、高宗が即位すると、皇后に立てようとも考えられたが、呂好問の諫言のため沙汰やみとなり、賢妃となった。翌月、商丘で趙旉(元懿太子)を産んだ。 太子の薨去後、潘賢妃は元祐太后を奉仕することを理由に退かされた。後年、皇宮に召還された。紹興18年(1148年)、薨去した。 伝記資料 『宋史』 『靖康稗史箋證』 『三朝北盟会編』 『宋史記事本末』 Related Articles