潼関県

中華人民共和国陝西省渭南市に位置する県 From Wikipedia, the free encyclopedia

潼関県(どうかん-けん)は、中華人民共和国陝西省渭南市に位置する

簡体字潼关
総面積817 km²
総人口(2004)16 万人
概要 中華人民共和国 陝西省 潼関県, 簡体字 ...
中華人民共和国 陝西省 潼関県
潼関古城
潼関古城
潼関古城
渭南市中の潼関県の位置
渭南市中の潼関県の位置
渭南市中の潼関県の位置
簡体字 潼关
繁体字 潼關
拼音 Tóngguān
カタカナ転写 トングァン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
陝西
地級市 渭南市
行政級別
面積
総面積 817 km²
人口
総人口(2004) 16 万人
経済
電話番号 0913
郵便番号 714300
行政区画代碼 610522
公式ウェブサイト http://www.tongguan.gov.cn/
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地理

潼関県は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河洛河の南、華山の東に位置し、山西陝西河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古より軍事家による争奪の地となった。潼関は地形険峻にして、長安の東の藩屏であった。

歴史

殷代は定国に属し桃林と称されていた。周代になると畿内地域とされ渭汭と称された。春秋時代にはに属し桃林塞と称されに対抗する戦略拠点とされた。前453年に属するようになり、前332年に寧秦県が設置された。紀元前205年に雍王章邯上将軍韓信に攻撃されて、籠城するも当地で自害した。

前202年前漢は船司空衙門を設置し、黄河および渭河の水運を監督するようになり、船司空県と称されるようになった。9年始建国元年)、新朝を立てた王莽により一時船利県と改称されたが、後漢が成立すると船司空県に戻された。213年建安18年)、船司空県は華陰県に編入され、その後三国にかけて沿襲された。534年永熙3年)、北魏により定城県を設置、更に西魏により敷西県に編入され、北周に至った。

583年開皇3年)、中国統一を達成したは、敷西県を華州(後に京兆郡)の管轄とし、その2年後に華陰県と改称した。唐代になると、685年垂拱元年)に仙掌県と一時改称されたが、706年神龍2年)に華陰県と改められ、元末まで沿襲された。

が成立すると、1374年洪武7年)に潼関守禦千戸所を設置、清代になると、1724年雍正2年)に潼関県と改称され、その後潼関庁と改称された。

中華民国が成立すると、1913年に再び潼関県が設置され、現在に沿襲されている。

行政区画

  • 街道:城関街道
  • 鎮:秦東鎮、太要鎮、桐峪鎮、代字営鎮

外部リンク

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