東京都に生まれ、東京音楽学校でピアノを学ぶ。同期には久野久子や小松耕輔、大和田愛羅らがいる。
浅草オペラの創設に携わり、幕間でピアノ演奏を行なった他、オペレッタなどの上演に参加した。
1923年、関東大震災によって浅草オペラが壊滅的打撃を受けると、大阪府へ移住。演奏活動の他、大阪洋楽研究所を主宰し、ピアノ・声楽・音楽理論などを教えた。
黎明期の日本のレコード会社に、洋楽・邦楽を問わず数多くの伴奏や器楽の録音を遺したことで知られる。その中には、日本人初となるショパンやベートーヴェンのピアノ曲も含まれている。
1936年、大阪にて50歳で死去。