焙炉
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構造
歴史
その起源は明らかではないが、焙炉の呼び名は南北朝時代の1376年に成立した『新札往来』に見えるのが最古とされている。ただこの当時の焙炉の仕組みや、何に使われたかは不明である。
戦国時代に来日したポルトガル人宣教師ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』によると、焙炉は「宇治における碾茶の製造の際、蓋の無い深い木製の箱の中に炭をおこし、その上に竹の格子、更に厚手の紙を敷き、蒸した茶葉を広げて焦がさないよう絶えず紙を動かしながらゆっくりと炙るもの」とされている。
養蚕への利用は元禄年間まで下り、日本最古の養蚕の手引書と言われ元禄15年(1702年)に津軽藩の茶道役であった野本道玄が著した『蚕飼養法記』に記述が見られるのが最古である。
煎茶(手揉み茶)に焙炉が何時頃から使われるようになったかは必ずしも明らかではないが、煎茶は碾茶と異なり茶葉を捏ねたり、押し潰したりする工程があるために頑丈な焙炉が必要であり、日本に明から煎茶が伝えられた江戸時代初期以降、竹に代えて鉄の格子を使うなどして改良が施され用いられたと考えられる。