乗然
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略歴
兄の信親が官命によって鹿島明神(現在の鹿島神宮)大宮司となったため、代わりに弟である親綱が片岡家の家督を継いだ。しかし遁世菩提の思い深く、夢告によって建保3年(1215年)春に親鸞のもとを訪れ、
「よしあしも知らぬ難波の蚤小舟 誓の海によりてさだめん」
との短歌を親鸞に献じたところ、
「本願の海によりてのあま小舟 櫓櫂もとらて乗りてしかなり」 との返歌を受け、直ちに髻を切り出家、親鸞の返歌にちなんで「乗然坊領海」と名乗ったとされる。
その後、親鸞の帰洛に際し供を願い出たが、「後に残す同行を頼むぞよ」と形見の御影と聖徳太子像、並びに霞ヶ浦草庵を託されたという。その後霞ヶ浦草庵は帰命山無量寿院如来寺[1]と名付けられ、旧跡となっている。