片角軍萱の戦い
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概要
開戦に至る経緯
長沼政義、下野侵攻
明応4年(1495年)、蘆名盛高に対し松本輔豊、伊藤民部らが謀反を企てるがすぐに発覚して、鎮圧された。その後、松本輔豊らは宇都宮成綱を頼り下野国を目指し逃れた。その際、長沼政義は逃亡者を30人ほど捕らえ討ち取るなど盛高へ協力的な姿勢をとった。さらに同年、長沼政義は下野国塩原に侵攻。下野小山氏の一族橘伊勢守が拠る要害山城へ攻め込んだ。橘伊勢守は要害山城の出城である狭間城で徹底防戦するが討ち取られてしまい、橘氏は滅亡した。
塩原荘は長沼氏の祖である長沼宗政の領土でもあり長沼氏の旧領であった。政義は旧領の奪還を果たしたのであった。
長沼政義、三依の戦いに勝利
要害山城を手中に収めた長沼政義は北上を目論む宇都宮成綱に対し、蘆名盛高や会津田島の自領からの援軍を受け三依の戦いで宇都宮勢を退けることに成功した。さらに要害山城の大改修を行うなど成綱に対抗した。奥州長沼氏は下野国国境付近から陸奥国南部を支配し全盛期を迎えた。また、蘆名盛高が奥州長沼氏に協力する理由としては、下野国進出への野心があったからだという。