特高課長講演問題

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特高課長講演問題(とっこうかちょうこうえんもんだい)とは、大政翼賛会の結成を巡って千葉県1940年に起きた政争。中央を舞台として大政翼賛会結成を推進した新体制運動と、地方政治の中心であった内務官僚を中心とする県庁及び地方政界を代表する県議会との意識格差が露呈され、のちの大政翼賛会の行政補助機関化の嚆矢となった事件の一つである。

大政翼賛会の結成に際して、地方でも立憲政友会立憲民政党をはじめとする諸政党が解党された。千葉県でも例外ではなく、自由民権運動を由来とする現存の数少ない政治結社であった夷隅郡以文会(当時は政友会郡支部を兼ねていた)も同年10月13日解散した。

当時、右翼(主として革新系)は、現状に不満を抱く青年団や戦時体制強化を進める警察の一部と連携して千葉県内でも新体制運動を推進しようとした。だが、大政翼賛会の支部を構成する常務委員会の人選は県知事に事実上一任されていた。当時の千葉県知事であった立田清辰はこうした右翼の介入によって県主導で進めてきた戦時体制確立が阻害されることを恐れて、伊藤博愛県議会議長、警察官僚出身の飯田謙次郎・野田町長ら信頼のおける少数の政治家や県幹部との協議でいわゆる「名士」層から支部役員を決定し、右翼や青年団代表はほとんど排除された。

一方、県議会では伊藤議長を中心に全県議が参加する議員団が結成された。若手県議達は従来の政党が解散された以上今までの年功序列や当選回数中心主義を廃止すべきであると要求したが、伊藤ら議員団幹部はこれをのらりくらりとかわした。

県議団対新体制運動

立田知事による県庁と翼賛会支部の一体化構想

参考文献

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