玉之浦納の反乱

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玉之浦納の反乱(たまのうらおさむのはんらん)は、玉之浦納が永正4年(1507年)に主君の宇久家に対して起こした一連の反乱

五島の第9代領主宇久覚(うくさとる)には庶子はいたものの嫡子はなく、庶子を後継者にしようともしなかった。覚は阿野家の松熊丸を養子としてもらいうけた。家臣の中には不満に思う者もいたが、なんとか松熊丸を迎え、名を宇久勝と改め第10代領主を継承した。勝の懸命な統治のなかで、家臣間の不満も次第に薄れていった。実際、勝は名君に数えられる功績を残した。

玉之浦家は宇久家第3代宇久太の子玉之浦貞(ただす)から発する家柄であった。前文の危機のとき宇久本家の血を引く玉之浦家から君主を出せるかも知れないと思っていても不思議はなく、事実玉之浦家は漁業・貿易・塩などの事業で膨張し宇久本家の威光をしのがんばかりであった。玉之浦家の君主は納に至るまでこのこと深く感じていたことだろう。

納の反乱の原因はわかっていないが上記の事柄が深く起因していることだろうと推察される。

反乱

玉之浦納の最期と宇久家再興

関連項目

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