正保3年(1646年)奈良奉行所の与力、井関六大夫の長男として誕生。若い頃は大和国郡山藩に仕えて大和各地の文献や伝承を調査した。延宝7年(1679年)33歳の時、父の跡を継いで与力になった。
天和2年(1682年)奈良奉行に大関増公が着任、翌年改姓を命じられ、玉井姓となった。姓のうちに“関”があったからである。奉行所では執務のために関係資料を収集する必要が生じたため、定時にも文献調査とその記録が命じられた。奉行所を退職した後は、大和の地誌である大和名勝志全16巻を完成させ、享保5年(1720年)に75歳で世を去った。