王子朝鮮人学校事件
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事件の発端
事件の概要
1951年3月7日当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。
集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。
応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。
警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。
警察はこの事件で28人が重軽傷を負った。
その後の顛末
参考文献
- 『警視庁史(第4)』(警視庁史編さん委員会編 1978年)
- 『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』(李瑜煥 1980年)