田中尭平

昭和期の弁護士、政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

田中 尭平(堯平、たなか ぎょうへい、1904年明治37年)12月15日[1]1963年昭和38年)11月2日[1][2])は、昭和期の弁護士政治家衆議院議員

経歴

山口県[2]豊浦郡、のちの豊田町(現下関市豊浦町)で生まれる[1]。豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)、山口高等学校を卒業[1]。山高在学中から社会主義の研究を始め、東京帝国大学に進学してから実際の活動に加わった[1]。1932年(昭和7年)東京帝大法学部政治学科を卒業[1][2]山口市で弁護士を開業した[1][2]

1945年(昭和20年)日本共産党に入党し、労働組合の法律顧問を務めた[1]。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙山口県第2区から共産党公認で出馬して落選[3]。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙に出馬して当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、共産党山口県委員を務め、レッドパージ反対闘争などを担当した[1]。その後、第25回第28回第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[5]

脚註

参考文献

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